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調布飛行場問題

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調布って環境が良くて住みやすくていい町だよね。 そうね〜 飛行場がなければね・・・。

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墜落事故現場(2015年7月26日撮影)
調布飛行場墜落01 調布飛行場墜落02 調布飛行場墜落03
墜落事故現場のその後(2015年8月19日撮影)
調布飛行場墜落04 調布飛行場墜落05 調布飛行場墜落06
  

1.調布飛行場に関する知識

1)歴史
昭和16年4月 調布飛行場開設
昭和20年9月 米軍が接収し、調布水耕農園及び補助飛行場として使用
昭和29年8月 飛行場の共同使用が認められる。
昭和30年2月 飛行場地区の一部返還
昭和47年2月 三鷹・府中・調布の地元3市は、市町及び市議会議長で構成する調布基地歳策連絡協議会(六者協)を結成
昭和48年3月 飛行場地区全面返還
昭和50年3月 運輸省は、都に飛行場の継続使用を申し入れる。
昭和50年3月 都は、運輸省の申し入れを断り、飛行場を移転し、敷地を明渡すよう回答
昭和50年9月 都は、運輸省に飛行場の早期明渡しを要望
昭和51年2月 都は、地元市に飛行場の縮小存続案を提案
昭和54年3月 調布〜新島間不定期便運行開始 【※注 2)-c) 参照】
昭和56年5月 都は、六者協に旧調布基地の跡地利用計画案を提示
昭和59年12月 調布〜大島間に不定期便運行開始
昭和61年11月 都は、六者協に国有地を含む全体の土地利用計画案を提示
平成元年7月 都は、六者協に調布飛行場の都営正式飛行場化を提案
平成3年7月 都は、六者協に調布飛行場の国からの管理引継ぎを提案
平成4年5月 六者協は、調布飛行場の国からの管理引継ぎを了承
平成4年7月 都は、国より調布飛行場の管理を引き継ぐ。東京都調布離着陸場管理事務所開設
平成4年7月 調布〜神津島間不定期便運行開始
平成8年7月 都と六者協は、調布飛行場の正式飛行場化に合意
平成8年8月 都は、調布飛行場の整備方針及び同基本計画を策定
平成9年4月 都と地元3市は、調布離着陸場の整備及び管理運営に関する協定書及び同覚書を締結
平成10年8月 調布飛行場設置許可申請を運輸省へ提出
平成10年12月 調布飛行場設置許可
平成11年7月 調布飛行場整備工事着手
平成13年3月 正式飛行場(都営コミュータ空港)として開港




2)正式飛行場に認可されるまでの経緯

a)市民による反対署名

1972年(昭和47年)、米軍より飛行場が全面返還された際、調布市と市民が全市をあげて「調布飛行場反対協議会」を結成し、5万人の反対署名を集め、市民と行政が合意のもとに進めて来た「調布飛行場の全面返還を促進し、跡地を市民のために有効活用する」という運動の趣旨に国も東京都も合意・決定しました。

(調布飛行場は、昭和47年、飛行場が米軍から全面返還されることに決まった翌 年、調布市には飛行場反対協議会(市議会全会派、諸団体、自治会などが参加) が結成され市民5万人が反対署名の上都も国に即時撤去を求めたのですが、代替 地を探すのに時間がかかるとのことで、3年間の期限付暫定使用とするとの経緯 で使われていました。また昭和55年夏、調布中グランドに双発機が墜落した際、 国会で山花氏の追及に塩川大臣は「必ず代替地を探す」と明言したにも関わらず、 約束に反して未だに運用が続いています。市民の生命と健康を脅かす調布飛行場 は近い将来絶対廃止するべきであり、その段階的措置として、飛行回数の削減を 進めるべきであると思います。このような住宅密集地に飛行場が設置されること は常識では考えられません。 )

b)離島路線の認知

ドイツ製 ドルニエ (旅客19名・エンジン776HPx2・時速410km)
調布飛行場の離島路線は調布が正式に認可して導入されたものではありません。現在の離島路線が調布に導入された経緯について、調布から離島便を運行している当時の新中央航空の社長が”第二回コミュータ空港懇談シンポジウム”に於ける発言で雄弁にこれを物語りました。

 『ご承知のとおり、わが国の定期航空以外の離島と離島、離島と本土を結ぶ2地点間の旅客輸送が最初に承認されたのは昭和52年のことですが、それを受けまして、当社でも新島へは、当社の所有する龍ヶ崎飛行場から週に2〜3回便を飛ばしました。その後、調布からも飛ばしたいと思いまして、その路線の認可を求めたのですが、この路線認可がなかなかおりません。と申しますのは、調布空港が正規の告示された飛行場でなく場外離着陸場であり、又空港として頻繁に使われることにも東京都が大いに難色を示しました。それでも結局、認可を得ることができたのですが、航空局は苦肉の策で、「新島ー調布」と明記せず、「新島を起点として関東地区の220km圏の2地点間を結ぶ路線」としました。こうしますと羽田へも入れるようですが、全くそういことではありません。220kmと申しますと、竜ヶ崎にも館林にもはいる距離です。館林にも私どもの大洋航空の飛行場がありますので、それを利用できるという意味で、220kmとしたものです。』


 調布に導入するという形式が取られなかった以上、地元市に一言も挨拶がなかったのは自然の成り行きです。さらに話は続き・・・

 
『調布の名前が使えるようになったのには面白いいきさつがございます。それは昭和55年のことですが、当時大蔵省が離島航空路の利用客に対し、通行税の減免措置を実行いたしまして、その時に、私どもの路線が特定出来ないと困る問題が生じました。そして、大蔵省が中に入ってご苦労頂き、やっと官報に「新島ー調布間の路線」と初めて調布の名前を明示させて頂いたわけです。一度官報に載ります、もう勝ちでして、その後は運輸省でも「調布」の名称を使って頂けるようになって今日に至っています。』 

これが離島路線が導入された経緯です。これが正規の手続きと言えるものなら、今後も様々な「正規の手続き」が取られ、空港機能は際限なく拡大していくことでしょう。


c)鈴木都知事の鶴の一声

平成元年3月15日の東京都議会予算特別委員会において、鈴木都知事は、「調布飛行場は増大・多様化する地域航空の拠点として必要不可欠であると認識しております。」と発言しました。そして同年7月、東京都は突如、社会的情勢の変化と社会的ニーズから、調布飛行場がコミューター空港(地域空港)拠点として必要不可欠であるとして、飛行場の永久使用につながるコミューター空港化(都営空港化)を提案しました。市民にとって寝耳に水の出来事でした。1972年の約束に違反し、多くの近隣市民の反対を押し切ってまでそれを実行する理由はあったのでしょうか?調布の都営コミュータ空港化を正当化する理論の中で、一見、最も説得力を持っていたのが「離島への住民の足(離島路線)」ですが、実際には島民は調布ではなく、都心に出るにも関西や東北へ行くのにも便利な羽田空港を求めていました。さらに問題なのは、離島の住民の足を表看板としている離島路線が、実際にはレジャーに利用されている点です。つり竿やゴルフバックを持って飛行場へ向かう人の姿は、多くの市民によって目撃されています。調布市民は、どこかの誰かの遊びのために、生活を犠牲にされる覚えはないはずです。

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平成1年10月2日の新聞記事



3)現在の施設概要

名称 東京都調布飛行場 (RJTF)
所在地 東京都調布市西町290番3
管理者 東京都調布飛行場管理事務所
TEL 0422-34-4840  FAX 0422-34-4842
飛行計画 東京航空局調布空港事務所 TEL 0422-31-7331
気象 日本気象協会調布空港出張所 TEL 0422-31-0812
位置 北緯35度40分06秒 東経139度31分52秒
標高 42.3m
面積 約39ha
基本施設 滑走路 800mX30m
着陸帯 920mX60m
誘導路延長 92m
エプロン 105.491u
官制圏 漂点(滑走路の中心点)から高さ約750m、半径5kmの空域
航空機の駐機可能数 固定翼90機分 回転翼6機分
運用時間 平日8:30〜17:00  日祭日 10:00〜17:00
但し、航空運送事業者の旅客輸送に限り、18:00まで(4〜8月)
運用方式 有視界飛行方式(VFR)
通信・航空保安施設 TWR Chofu Tower 118.0 126.2
APP Yokota Approach 118.3 120.7 123.8
燃料 石野鉱油(株) TEL 0422-31-6768

調布飛行場 (バックは東京スタジアム)




2.問題点

調布は新宿副都心まで15km(電車で15分)の距離にあり、その利便さや緑・自然の豊富さ、住みやすさから、親子代々居住する世帯も多く、現在の人口は20万人(9万5千世帯)になっています。調布飛行場はこの住宅密集地の中にあり、離着陸する飛行機が毎日飛行場近辺上空を飛行しています。住民にとっては一方的に生活環境が破壊されるだけで、メリットは全くありません。 調布市中心地写真【文化会館たづくり展望ロビーから撮影】


1)騒音

最大の問題は騒音です。調布飛行場は年間最大離着陸回数が23000回と定められおり、一日に平均すると63回となります。しかし多い日には100回近く離着陸が繰り返され、飛行場近辺(特に滑走路から直線上2.5Kmの範囲)に居住する住民は、電話が聞こえない、テレビが聞こえない、赤ちゃんが寝付かない、勉強ができない等など、その騒音(爆音)に毎日悩まされることになります。騒音の大きさは平均すると大体75ホンから85ホン(最大記録は99ホン)です。


2)精神的ストレス

2.5km先の飛行場へ着陸するために
住宅密集地で高度を落し始めるドルニエ
騒音(ホン)としては測定できない低周波騒音(1ヘルツから100ヘルツまでの聞き取りにくい低い周波数の音)の問題もあります。低周波騒音は人によって感じ方が千差万別であり、低周波に敏感な人は不眠・耳鳴り・頭痛・抜け毛・めまい・吐き気・鼻血・体重減少などを起こします。また飛行機が上空を飛ぶことに精神的ストレスや恐怖感を抱く場合もあります。飛行機が好きな人であれば問題無いのですが、嫌いな人にとっては大きなストレス、場合によっては恐怖感となります。戦争経験者の中には、飛行機が上空を飛ぶたびに、爆撃される恐怖感にさらされるという人もいます。


3)飛行時間

飛行場の運用時間は、午前8時30分から午後5時(4/1〜8/31は午後6時まで)と定められています。しかし例外として、航空運送事業者が行う2地点間における旅客及び貨物輸送のための飛行公共性を有する飛行に関しては午前7時から日没までの運用が認められています。2地点間というのは具体的には、調布⇔大島、調布⇔新島、調布⇔神津島間を飛ぶアイランダーという非常に高い騒音を放つ機体を指し、また公共性を有する飛行という定義については曖昧です。結果的には午前7時から日没までが実質的な運用時間となります。休日の早朝から飛行機の騒音で目を覚まされることほど不愉快なことはありません。 休日(日・祝祭日)は飛行制限がされているにも関わらず、休日のほうが飛行回数が多いのが現状です。【(資料-1)参照】


4)気象条件による飛行制限

豪雨の日没時、視界不良にも関わらず
強行着陸する航空機(MPEG形式動画)
2003年7月25日17時52分撮影
調布飛行場は有視界飛行方式(VFR:visual flight rules)でのみの使用が許されています。 有視界飛行方式とは、パイロットの目視に頼って飛行する方式で、 5000m(5Km)以上視程距離(視界)がある気象状態(有視界気象状態(VMC:visual meteorological condition) であることが飛行場を使用する絶対条件です。 この視程距離に満たない気象条件を計器飛行状態(IMC:instrument meteorological condition)と言いますが、 当然IMCでの使用は許可されていません。 それにも関わらず、実際には、緊急だとか、患者を搬送しているなどの例外的な理由をこじつけてIMCでの飛行が後を絶ちません。 視界が不良(良く見えない状態)で飛行しているのですから、当然墜落の危険性も高くなります。


5)飛行ルート

都では飛行ルートの分散化を約束しています。分散化とは、同一のルートのみを飛行するのでなく、離陸後に左右に進路を変更したり、着陸時に滑走路の左右から進入するというものです。調布飛行場で運行されている小型飛行機は離陸直後・着陸直前の進路変更が可能で、この分散化により騒音公害を拡散する効果があります。しかし現実には滑走路の南北2.5km圏内は直進による飛行が続いているのが現状です。これは一部の市民だけが騒音公害を蒙ることを都が容認していることです。

繰り返し飛行ルートを守らず進入着陸を続ける事業者
JA5200(朝日航空)
他にJA5313,JA881A
  JA3875(国際航空輸送)(写真)
  JA3700,JA3717,JA4101,JA3688,JA3696
JA4018(ミソノプロパティ)
2004年1月18日 15:47撮影
JA5111(航空技研) JA8858(航空技研) JA8600(アジア航測) JA4188(JDL技研)
2004年1月27日 15:41撮影
※上のJA3875は2004年1月22日に甲府の住宅密集地で墜落事故を起こし大破した機体です。

JA4018 JA3904 JA889A・JA888P JA4188・JA4800 JA3917 JA39733946 JA39553816 JA8897・JA8895・JA4028
ミソノプロパティ 水産航空 東京リース JDL技研 川崎航空 小学館不動産 裕伸 共立航空撮影


標準飛行ルートを守らない航空機の所有者、機体番号、着陸時刻の具体例
※裕伸のJA3816は2005年10月28日に都立田無高校のグランドに不時着事故を起こした機体です。
(株)裕伸(JA3955)※印はJA3816
日付 着陸時刻